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Takamatsu kita Christ church

TEL. 087-805-3310

〒760-0080 香川県高松市木太町3818-2

あなたに伝えたいことNEWS&FAQ

幸せを求めて

 人は誰もが、幸せになりたいと願っているものです。そして、多くの人は、自分の欲望や願望が満たされるならば自分は幸せになれると考えています。ところが、私たちの人生には、自分の力ではどうにもならない事故、病気、災害などがしばし訪れるものです。ですから、人は、自分の欲望、願望をかなえてくれるであろう神々の前に手を合わせたりひれ伏したりするのです。商売繁盛の神、安産の神、学業の神、交通安全の神といった具合にです。それらは「八百万(やおよろず)の神」と言われるほど、多くの神々です。
 しかし、実際にはそれらの神々は、人の自分勝手な欲望の数を示しているのです。そして間違いなく言えることは、人間がそれだけ多くの神々を造り出していったということは、どの神々も本当の幸せを与えることは出来なかったということです。

       (人はみな幸せを求めている)

深く根付く偶像礼拝

 前述のことは、何も今の時代に始まったことではありません。紀元50年頃のギリシャのアテネの町でも同様のことが行われていたのです。ギリシャ人たちは、人間とは何か、人間にとっての幸せとは何かを熱心に探求していました。そして彼らが行き着いた結論は、ゼウス、ガイア、ポセイドンなどの神々の像に依り頼みその像を拝むことでした。それでもまだ満足を覚えることのできない彼らは、「知られない神に」(新約聖書 使徒の働き17章23節)と刻んだ祭壇まで造って、人間に幸せを与えてくれる神を探し求めたのでした。
 そのアテネの町に、イエス・キリストを宣べ伝える使徒パウロが訪れた時のことです。パウロは、アテネの人々に大胆にこう語りました。

「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。〈中略〉 神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。」
(新約聖書 使徒の働き17章24節〜29節)

 確かに、彼らが拝んでいた神々は、「林から切り出された木、木工が、なたで造った物にすぎない。それは銀と金で飾られ、釘や、槌で、動かないように打ちつけられる。それは、きゅうり畑のかかしのようで、ものも言えず、歩けないので、いちいち運んでやらなければならない。」(旧約聖書 エレミヤ書10章3節〜5節)ものでしかありませんでした。




     (今もアテネの道々に当時の神々のかけらが残っている)

 偉大な神の栄光を、人間が自分の欲望や願望を満たすために、手で造った金や銀や石などの像とすり替えてはなりません。また、神を人間の欲望や願望を満たすための道具のように考えることは、極めて不敬虔な考え方です。そして、それらの神々は、決して人間に本当の幸せを与えることはできないのです。
 天地万物を造られた創造主であられる唯一の神が、私たち人間を愛の対象として造り、生かして下さっているのです。この神を天地の主として崇めることも感謝をすることもしないで、かえって無視して、金や銀や石で人間が造った像の前にひれ伏すことは、本当の神に対する重大な罪です。これを、「偶像崇拝の罪」と言います。
 もちろん、像ばかりでなく、偉人や動物や自然界の諸物を崇拝することも偶像崇拝の罪です。悪魔や悪霊もこれらの偶像を使って、あなたの目が本当の神に向かないように仕向けているのです。突き詰めて言えば、偶像崇拝は、その背後にいる悪魔を崇拝することに他ならないのです。


 日本もアテネの町と全く同じ罪の中にあります。日本中の町で、偶像の置かれていない町はおそらくないでしょう。皆、一度は偶像に手を合わせたり、頭を下げたり、供え物をしてきたことでしょう。学校の行事の中にも、子供会の活動にも、会社にも、家庭にも、そこかしこに偶像と関わりを持つ場が設けられています。
 今ここで、日本の伝統文化だからとか、先祖から受け継いできた代々の宗教だからと話をすり替えてはなりません。神は実際に生きておられ、全世界、全宇宙の主権者なのです。大事なことは、あなたが、今までしてきたことが神に対する重大な罪であると気付き、それを認めることなのです。
   

実在される本当の神

 では、天と地と全てのものの造り主である神が、果たして本当に存在されるのでしょうか?
 神の存在そのものを目で見て確認することは確かにできません。しかし、神そのものを見ずとも、神の存在を確信する方法ならあります。神がお造りになったものを見ることによって、神の存在を容易に確信することができるのです。
 実はこれと同じ原則で、普段あなたも物事を見ているはずです。例えば、あなたの家にも恐らくいくつかの時計があると思いますが、時計の存在は、時計を造った知恵ある人間の存在を証しています。あなたは、その製造者の存在を目で見て確かめたわけではありませんが、その存在を当たり前のように認めていることでしょう。
「時計を造った人の存在を目で見て確かめたわけではないから、その人の存在を認めない」とは、決して言わないのです。
 それと同様、動物や植物たちの英知に満ちた体の仕組みや、創造性に満ちた素晴らしいデザインや色、壮大かつ緻密な宇宙の存在は、それらを造られた偉大な知恵者であられる神の存在を明確に証しているのです。

「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」
(旧約聖書 詩篇19篇1節)

 もしあなたが、天地万物そして人間をも造り生かして下さっている神の存在を認めないというならば、あなた自身の存在や生きる目的をも見失ってしまうことになるのです。


               
          (神が造られた自然界は偉大で美しい)

 天地の造り主である神は、全ての人に命を与え、太陽の光を照らし、雨を降らせ、ご自身の恵みを注ぎ続けてこられました。それにもかかわらず、人間のしてきたことは「神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もしない」(新約聖書 ローマ人への手紙1章21節)ことでした。
 子が親を敬うのが当然であるならば、人間がその造り主である神を崇めるのは当然です。神をあがめない、感謝もしないことは、神に対する不敬の罪です。
 さらには、「悪い考え、不品行、盗み、殺人、 姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさ」(新約聖書 マルコの福音書7章21〜22節)なども、神の忌み嫌われる罪のひとつひとつです。
しかも、神の基準では、「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」(新約聖書 マタイの福音書5章28節)というのですから、神はあなたの行いばかりでなく、心の中で考えたことまでも罪として指摘されるのです。何と厳粛な事実ではないでしょうか。
 あなたの罪は、完全に聖い神によって、全て数え上げられているのです。そしてあなたが神の前に悔い改めたことがないならば、あなたの罪は神による裁きの日のために、あなた自身の上に日々積み上げられているのです。

悔い改めなさい

「神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。」
(新約聖書 使徒の働き17章30節)

 神は、あなたが神に対して悔い改めることを命じておられます。では、「悔い改め」とは何でしょうか。「悔い改め」とは、全面的にあなたの間違いを認めて、心の向き、方向を変えることです。
 あなたは、今まで神を御利益の手段か、自分の欲望を満足させるための道具ぐらいにしか考えてこなかったかもしれません。しかし、そのような神の絶対主権を認めない自己中心的な価値観を捨てて、天地の造り主なる神に立ち返ることです。
 誰でも、自分が道を間違えたことに気が付けば、すぐさま方向転換して正しい道を行こうとするでしょう。それと同様、あなたはあなたの大切な人生において大変な間違いを犯してきたのですから、今すぐ悔い改めて正しい道を選択すべきです。

 また、間違った道を行けば、間違った行き先に到着するのと同様、間違った人生には恐ろしい結末が待っているということも覚えておかなければなりません。次の聖書の言葉に注目して下さい。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」
 (新約聖書 ヘブル人への手紙9章27節)
(あなたの人生は正しい方向に向かっていますか?)

 もし、あなたが神に対して悔い改めようとしないならば、死後に必ず神による罪のさばきが行われ、罪の刑罰の場所である火の燃える永遠の地獄に投げ込まれることになるのです。間違った人生の結末は、永遠の滅びです。えこひいきなどないお方が、ご自身の聖さにしたがって、全ての人を、それぞれの行いに応じて正しく裁かれるのが地獄です。それは神の決定的な判断であり、最終的な審判なのです。地獄に行く者は「昼も夜も休みを得ず」(新約聖書 ヨハネの黙示録14章11節)に永遠に苦しむのです。
 ですから、どうか創造主であられる神を認めない人生、偶像を崇拝する人生が間違っていることを明確に認めて、神のもとに立ち返って下さい。神はあなたのために罪の赦しを用意して、喜びをもってあなたの帰りを待っていて下さるのです。

「あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。」(旧約聖書 ヨエル書2章13節)

イエス・キリストによる罪の赦し

@ 十字架の死

 神の前にへりくだって悔い改めることのできた者は幸いです。なぜなら、神はその人のために、完全な罪の赦しを用意して待っておられるからです。是非、ここで、神があなたのために成して下さった素晴らしい御業についてお聞き下さい。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(新約聖書 ヨハネの福音書3章16節)


 神は、あなたが罪のさばきを受けて永遠に滅びることをお望みにならないで、かえってあなたの罪を赦して永遠のいのちを与えたいと願っておられます。あなたの罪を赦すために神がして下さったことは、ご自分の大切なひとり子イエス・キリストに、あなたの罪の全てを背負わせ、あなたの身代わりに罪の刑罰を受けさせることでした。

 あなたは恐らくイエス・キリストが十字架にかかって死なれたことを知っておられたでしょうが、それがあなたの罪のためであったとはご存知なかったかもしれません。
 しかし、事実、神はあなたのために、ご自分のひとり子さえ惜しまずに十字架におつけ下さったのです。イエス・キリストの流された血潮こそが、あなたの罪が赦されるための代価であったのです。ここに神の愛がこれ以上ないほどに明確に示されたのです。本物の神と偽の神々との違いは明白です。


A 復活の事実

 さらに、イエス・キリストが偽の神々とは決定的に異なる一つの点があります。それは、この方は死後3日目の朝、死の力を打ち破って事実よみがえられたという点です。イエス・キリストの死体が収められた墓は、からっぽになっていました。そして、イエス・キリストは、死体に香油を塗ろうと墓を訪れた女たちや、イエス・キリストの十字架上の死に絶望しおびえていた弟子たちや、キリストが復活されたことをかたくなに信じようとしなかったトマスという弟子のほか、500人以上の弟子たちにも、復活された肉体をもって現れて下さり、ご自身がまことの神であり救い主であられることの確証をお与え下さったのです。

「そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」
 (新約聖書 使徒の働き17章31節)

「イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。」(新約聖書 使徒の働き1章3節)

 これは、あなたが信ずべき救い主を、容易に見出すことができるようにとの神のご配慮でもあります。死の力を打ち破ってよみがえられたお方など、この方以外にはおられないからです。そして復活の40日後にキリストは、エルサレム郊外のオリーブ山から天に帰られ、今も天において生きておられるのです。

「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」(新約聖書 ヘブル人への手紙7章25節)

罪の赦しを受けるには

 神は次のように約束して下さっています。

「イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」(新約聖書 使徒の働き10章43節)

 あなたの罪が全て赦され、永遠のいのちを受けるために必要なことは、あなたが、イエス・キリストを心に信じ受け入れることなのです。
 こう考えれば、分かりやすいでしょう。あなたが、返済不可能な多額の借金を負っていたとします。ところが、誰かが(仮にAさんとしましょう)その全ての借金をあなたの身代わりに全額返済してくれると言うのなら、あなたのすべきことはただ一つです。Aさんの好意、愛、力を信じ、Aさんに全き信頼をおくことだけです。それが、Aさんを信じるということです。自分で少しは返済しようと努力することでもなければ、返済をあきらめることでもありません。なぜなら、あなたが返済不可能だからこそ、Aさんはあなたのために全額返済してくれるというのですから。
 今の例と同様、あなたが罪の赦しを受けるためには、自分が罪の負債を返済することが全く不可能な者であることを謙遜に認めて、ただイエス・キリストを信じ受け入れるだけなのです。神があなたに求めておられることは、あなたの心がイエス・キリストに全き信頼をおくことなのです。何と恵みと憐れみに満ちた、幸いな救いを神はお与え下さっていることでしょうか!
どうか、心を開いて真心から神に次のように祈って下さい。

「神様、こんな罪人の私をあわれんでくださり、私の罪を背負ってイエス・キリストが十字架にかかって死んで下さったことを感謝します。私は、私のために命を捨て、死の中からよみがえられたイエス・キリストを、私の神・私の救い主として信じます。」

あなたの選択

 パウロがアテネの人々にこの福音(=良い知らせ)を宣べ伝えた時に、ある者はあざ笑い、またある者は「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言って問題を軽率に扱いました。しかし、よく考えてイエス・キリストを信じ受け入れた者もいました。その中には「裁判官デオヌシオ、ダマリスという女性」などの名前が挙がっています。
 あなたが、イエス・キリストが実際にあなたを救う権威と愛をもっておられる唯一の方かどうかを良く考えた上で、信じ受け入れるならば、神はあなたの名前も永遠に覚えて下さり、あなたの国籍を天に置いて下さるのです。

 今、あなたの目の前に、イエス・キリストを信じないで永遠の滅びに至る道と、信じて永遠の祝福と神の国に至る道とがあります。神が、この福音をあなたの目に留まるように導いて下さいました。あなたが救いを得て新しい希望に満ちた人生を歩み始めるようにとチャンスをお与え下さっているのです。
 どうか、この救いの機会を軽率に扱ったり、あと回しにして無駄にしないで下さい。イエス・キリストを信じてこの素晴らしい救いを受け取って下さい。

「悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。」(旧約聖書 イザヤ書55章7節)

信じる者に与えられる救い

 あなたは、すでに悔い改めて神のもとに立ち返り、イエス・キリストを信じ受け入れられましたか?
もし信じたなら、神は大変素晴らしい祝福をあなたにお与え下さったのです。
 まず、あなたの全ての罪は完全に赦されました。神は、あなたに対して、無罪放免の宣言をして下さいます。有罪であるはずの者が、なぜ無罪宣告を受けることができるのですか?と言う人もあるでしょう。
それは、あなたの罪のためにキリストが流して下さった血潮のゆえなのです。「あなたの罪は赦されました」とは、私たち罪人にとって何と喜ばしい宣言ではないでしょうか。
 結果、あなたは罪の刑罰から解放されました。すなわち、二度と地獄の炎を恐れなくてよい者となり、永遠の滅びからの解放が約束されたのです。
 ということは、あなたは死の恐怖からも解放され、死に対する勝利者ともなりました。なぜなら、あなたの死後に待っているのは、神のおられる素晴らしい天国だからです。あなたにとって死は、恐怖と絶望ではなく、栄光に輝く天国の入り口となったのです。何と栄えに満ちた希望を神は与えて下さったことでしょう。
 この確かな希望と喜びが、病気の苦しみや死の危険の中にある者をも、勇敢にし、強め、励まし続けてきたのです。
 また神は、キリストを信じたあなたに、神の子どもという身分と特権をお与え下さいました。ですから、あなたは天地の造り主である神に、親しく「父よ」と語りかけ、祈ることができ、神もあなたの味方となって、あなたと共に歩んで下さいます。あなたは、愛と憐れみと恵みに満ちた神によって導かれる素晴らしい人生を手に入れたのです。

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